昼休み、いつものようにユッコとサキちゃんと一緒にお弁当を食べている時、三年三組の澄田花苗さん、と校内放送で呼び出された。生徒指導室まで来てください、と。理由は分かっていたけれど、私がその時思ったのは呼び出しを遠野くんに聞かれたかもしれないという恥ずかしさだった。それからお姉ちゃんにも。

 がらんとした生徒指導室には、進路指導の伊藤先生が座っていて、先生の目の前には一枚のプリントが置いてあった。私が仕方なく名前だけ書いて提出した進路調査用紙だ。開け放した窓の外からはいかにも夏! といったかんじに盛大にセミの鳴き声がするけれど、部屋の中はひんやりと涼しい。雲が速い速度で流れていて、日が射したり消えたりしている。東風だ。今日は波が多そうだなと考えながら、先生の向かいに座った。

「……あんなあ、学年でまだ決めとらんのは澄田だけやぞ」と、わざとらしくため息をついた後に伊藤先生は面倒くさそうに言う。

「すみません……」とだけ呟いて、でも続けるべき言葉が思い浮かばず、私は黙り込む。先生も黙っている。しばらく続く沈黙。

〈1~3の各項の該当するものに○印を記入してください〉

 とかすれた文字が印字されたわら半紙を、私は仕方なくじっと見つめる。

 1‥大学進学(A‥4年制大学 B‥短期大学)

 2‥専門学校

 3‥就職(A‥地域 B‥職種)

 大学の項にはさらに国公立か私立の選択肢があり、それに続いてずらーっと学部の名前が並んでいる。医、歯、薬、理、工、農、水産、商、文、法、経、外語、教育。短大と専門学校の項も同様。音楽、芸術、幼児教育、栄養、服飾、コンピューター、医療・看護、調理、理容、観光、メディア、公務員……。文字を追うだけでくらくらする。そして就職の項には地域の選択肢があり、島内、鹿児島県内、九州、関西、関東、その他、と書かれている。

 島内という文字と、関東という文字を私は交互に見つめる。──東京、と私は思う。行ったことはないし、行きたいと思ったこともそういえばない。私にとっての一九九九年現在の東京は、ギャング(!)がいるという渋谷、下着を売っているらしい女子高生、都内緊急二十四時! 的な犯罪の横行、フジテレビの建物についている用途不明巨大銀ボールに代表されるような大袈裟でばかでかいビル、そんなところだ。続いてブレザー姿の遠野くんがルーズソックスの色白茶髪の女子高生と手をつないで歩いている風景が思い浮かび、私は慌てて想像力をシャットダウンする。伊藤先生の大きなため息がふたたび聞こえてくる。

「のう、こう言っちゃあなんやけど、そねえに悩むようなことやなかろうが。お前の成績やと、専門か短大か就職。親御さんがええと言やあ九州の専門か短大、ダメだと言やあ鹿児島で就職。それでええやろが。だいたい澄田先生はなんて言うとるんか」

「いえ……」と私は小さく呟き、それからまた黙り込んでしまう。ぐるぐると感情が渦巻く。このヒトはなんでわざわざ私を放送で呼び出して、そのうえお姉ちゃんのことを持ち出すのだろう。なんであご髭なんか生やしているんだろう。なんでサンダル履きなんだろう。とにかく早く昼休みが終わって欲しいと、私は祈る。

「澄田あ、黙っとったら分からんやろうが」

「はい……あの、すみません」

「今晩お姉さんとよう話し合え。俺からも言うとくから」

 なぜこのヒトは、私の嫌がることばかりを的確に行えるのだろうと、私は心底不思議に思う。

 沖に出ようとパドルしている私の前方に大きめの波が見える。しぶきを上げる白波がまるでローラーのように近づいてきて、私はぶつかる直前でボードを思い切り押し込み水中にもぐり、波をスルーする。やっぱり今日は波が多い。もっとアウトに出ようと、私は何度もドルフィンを繰り返す。

 ──ここじゃない、と私は思う。

 ここじゃダメだ。もっともっと外へ。必死に腕を回す。水はどっしりと重い。ここじゃない、ここじゃない──まるで呪文みたいに心の中で繰り返す。

 そしてその言葉が遠野くんの姿にしっくりと重なることに、私はいきなり気づく。

 時々こんな瞬間がある。波に向かっていると、まるで超能力者みたいに何かにはっきりと気づいてしまう時がある。放課後のコンビニの脇、誰もいない単車置き場、早朝の校舎裏、そういうところで誰かにメールを打っている遠野くんから、私には「ここじゃない」という叫びが聞こえる。そんなこと知ってるよ遠野くん。私だって同じなんだから。ここじゃないと思ってるのは遠野くんだけじゃないよ。遠野くん、遠野くん、遠野くん──そう繰り返しながら私は中途半端な体勢で波に持ち上げられ、それでも立ち上がろうとした瞬間に、一気に崩れた波と一緒に前のめりに海中に叩き込まれる。思わず海水を飲み込んでしまい、私は慌てて浮き上がってボードにしがみつき激しく咳き込む。鼻水と涙が滲んできて、まるで本当に泣いているみたいな気持ちになる。

 学校へと戻る車の中で、お姉ちゃんは進路の話題を持ち出さなかった。

 夜七時四十五分。私はコンビニのドリンク売り場の前にしゃがみ込んでいる。今日はひとりだ。単車置き場の前でしばらく待ってみたのだけれど、遠野くんは現れなかった。何もかもツイていない一日。私は結局またヨーグルッペを買ってしまう。コンビニの脇に停めたバイクに寄りかかり、甘い液体を一気に飲み込み、ヘルメットをかぶり、バイクにまたがる。

 まだほんのりと明るさの残る西の地平線を横目で眺めながら、私は高台の脇道をバイクを走らせている。左手には眼下に町が一望できて、視界の隅の林越しには海岸線も見える。右手は畑を挟んでちょっとした丘になっている。わりと平坦なこの島の中ではこのあたりは眺めの良い場所で、遠野くんの帰り道でもある。ゆっくり走っていたら、もしかして後ろから追いついてきたりして。それともやっぱり先に行っちゃったのかしら。バイクのエンジンががるんと咳き込み、ほんのちょっとの間だけエンジンが止まり、何事もなかったかのように元に戻る。このカブももうお婆ちゃんだよなあ。「カブ大丈夫ー?」と呟いたところで、前方の道路脇に停められたバイクが目に入った。彼のバイクだ! となぜか私ははじかれるように確信し、並べてバイクを停めた。

 ほとんど無意識のうちに、私は高台の斜面を登り始めていた。柔らかな夏草を踏みしめる感触。やばい。何やってるんだろう私。私ははっと冷静になる。近くで見たバイクはやっぱり遠野くんのだったけれど、私はこんなふうに彼のところに押しかけて一体何をしたいのだろうか。こんなふうに会わない方がいいに決まっているのだ。きっと私自身のために。それでも足は止まらず、大きな草の段差を踏み越えて拓けた視界の向こうに、彼はいた。星空を背に高台の頂上に座り込んで、やっぱり携帯メールを打ちながら。

 まるで私の心を揺らすためのように風がざーっと吹いてきて、私の髪と服を揺らし、あたりは草のさざめく音に満ちた。その音に呼応するように私の胸はどくどくと大きな音を立て始めて、私はそれを聞きたくなくてわざと大きな音を立てて斜面を登る。

「おーい、遠野くん!」

「あれ、澄田? どうしたの、よく分かったね」すこし驚いたように、遠野くんが私に向かって大きな声で喋ってくれる。

「へへへ……。遠野くんの単車があったから、来ちゃった! いい?」と言いながら、私は早足で彼に向かう。こんなのはなんでもないことなのよ、と自分に言い聞かせながら。

「うん、そうか。嬉しいよ。今日は単車置き場で会えなかったからさあ」

「あたしも!」とできるだけ元気に私は言って、スポーツバッグを肩から降ろしながら彼の隣に座り込む。嬉しい? ホントなの遠野くん? 心臓がなんだかずきずきする。彼のいる場所に来た時は、いつもだ。ここじゃない、という言葉が一瞬だけ心をよぎる。西の地平線はいつのまにかすっかり闇に沈んでいる。

 次第に強くなる風が、眼下に遠く広がる町のまばらな電灯をちらちらと瞬かせている。小さく見える学校にはまだいくつか明かりがついている。国道沿いの黄色い点滅信号の下を、車が一台走っている。町の体育施設にある巨大な白い風車が勢いよく回っている。雲の数は多く流れは速く、切れ間には天の川と夏の大三角形が見える。ベガ、アルタイル、デネブ。風は耳元で巻いてヒュウゥゥという音をたて、草と木とビニールハウスが揺れるザアッという音と盛大な虫の音とが混じり合っている。強く吹く風は私をだんだんと落ち着かせる。あたりは強い緑の匂いに満ちている。

 そんな風景を眺めながら、私と遠野くんは隣り合って座っている。鼓動はもうずいぶん静まっていて、彼の肩の高さを間近で感じていられることが、私は素直に嬉しい。

「ねえ、遠野くんは受験?」

「うん、東京の大学受ける」

「東京……。そうか、そうだと思ったんだ」

「どうして?」

「遠くに行きたそうだもの、なんとなく」そう言いながら、あまり動揺していない自分に驚く。遠野くんの口から現実に東京行きを聞いたりなんかしたら目の前が真っ暗になるかと思っていたのに。すこしの沈黙の後、優しい声で彼が言う。

「……そうか。澄田は?」

「え、あたし? あたし、明日のことも分からないのよね」呆れるよね遠野くん、と思いながら私は正直に話せてしまう。

「たぶん、誰だってそうだよ」

「え、うそ!? 遠野くんも?」

「もちろん」

「ぜんぜん迷いなんてないみたいに見える!」

「まさか」静かに笑いながら彼は続ける。「迷ってばかりなんだ、俺。できることをなんとかやってるだけ。余裕ないんだ」

 どきどきする。すぐ隣にいる男の子がこんなことを考えているということ、それを私だけに言ってくれているということが、むしょうに嬉しくてどきどきする。

「……そっか。そうなんだ」

 そう言って、私はちらっと彼の顔に目をやる。まっすぐに遠くの灯りを見つめている。遠野くんがまるで、無力で幼い子どもみたいに見える。私はこの人のことが好きなんだと、今さらながら強く思う。

 ──そうだ。いちばん大切ではっきりしていることは、これだ。私が彼を好きだということ。だから私は、彼の言葉からいろんな力をもらえてしまう。彼がこの世界にいてくれたことを、どこかの誰かに感謝したくてたまらなくなる。たとえば彼の両親、たとえば神さま。そして私はスポーツバッグから進路調査用紙を取り出して、折り始めた。いつのまにか風はすっかり凪いでいて、草のざわめきも虫の音もずいぶん静かになっている。

「……それ、飛行機?」

「うん!」

 できあがった紙飛行機を、私は町に向かって飛ばした。それは驚くくらい遠くまでまっすぐに飛んでいき、途中で急な風に吹き上げられ、空のずっと高いところで闇に紛れて見えなくなった。折り重なった雲の合間から、白い天の川がくっきりとのぞいていた。

*  *  *

 あんたこんな時間まで何やってたのよ、風邪ひかないように早くお風呂入っちゃいなさいとお姉ちゃんにせき立てられ、私はざぶんと湯船につかった。お湯の中で、なんとなく二の腕をさする。私の二の腕は筋肉でかちかちに硬い。それに標準よりちょっと──だいぶ太い気がする。そして私は、ふわりとしたマシュマロのような柔らかい二の腕に憧れている。でもこんなふうに自分のコンプレックスを目の当たりにしても、今の私はぜんぜん平気だ。体と同じくらい気持ちもぽかぽかしている。高台での会話が、遠野くんの落ち着いた声が、別れ際に彼が言ってくれた言葉が、まだ耳の奥に残っている気がする。その響きを思い出すとぞくぞくとした気持ち良さが全身に広がる。顔がにやけてくるのが自分でも分かる。なんかアブないなあ私はと思いつつ、思わず「遠野くん」、と小さく口に出してしまう。その名前は浴室に甘く反響し、やがて湯気に溶ける。なんか盛りだくさんの一日だったなーと、幸せに思い返す。

 私たちはあの後の帰り道、巨大なトレーラーがゆっくりと走っている光景に遭遇した。タイヤの大きさだけで私の背丈くらいある巨大な牽引車がプールほども長さのある白い箱を引っ張っていて、その箱には大きな文字で誇らしげに「NASDA/宇宙開発事業団」と書いてあった。そんなトレーラーが二台もあり、その前後を何台かの乗用車が挟み込んでいて、赤い誘導灯を持った人たちが一緒に歩いている。ロケットの運搬だ。話に聞いていただけで実際に見るのは初めてだったけれど、確かどこかの港まで船で運ばれてきたロケットを、こんなふうに慎重にゆっくりと、一晩かけて島の南端にある打ち上げ場まで運ぶのだ。

「時速五キロなんだって」と、以前どこかで聞いたトレーラーの運搬スピードのことを私は言い、遠野くんも「ああ」とかそんなふうにちょっと呆然と答え、私たちはしばらくの間その運搬風景に見とれた。これは結構レアな光景なはずで、それをまさか遠野くんと一緒に見ることができるとは思ってもいなかった。

 それからしばらくして雨が降り始めた。この季節にはよくある、バケツをひっくり返したような突然の土砂降りだった。私たちは慌ててバイクを走らせて家路を急いだ。私のヘッドライトに照らされた、雨にぐっしょりと濡れている遠野くんの背中は、以前よりすこしだけ近くに感じられた。私の家は彼の帰り道の途中にあり、一緒になった時はいつもそうするように、私たちは私の家の門の前で別れた。

「澄田」と別れ際にヘルメットのバイザーを上げながら彼は言った。雨はますます勢いを増していて、私の家からかすかに届く黄色い光がほんのりと彼の濡れた体を照らしていた。貼りついたシャツ越しに見える彼の体の線にドキドキする。私の体も同じように見えているのだろうということに、ドキドキする。

「今日はごめんな、ずぶ濡れにさせちゃったね」

「そんなそんなそんな! 遠野くんのせいじゃないよ、あたしが勝手に行ったんだもん」

「でも話せて良かった。じゃあまた明日な。風邪ひかないように気をつけて。おやすみ」

「うん。おやすみ遠野くん」

 おやすみ遠野くん、と湯船の中で私は小さく呟く。

 お風呂を出た後の夕食はシチューとモハミの唐揚げとカンパチのお刺身で、おいしくて私は三杯目のご飯をお母さんにお願いしてしまう。

「あんた本当によく食べるわね」と、ご飯をよそったお茶碗を私に渡しながらお母さんが言う。

「ご飯三杯も食べる女子高生なんて他にいないわよ」と、呆れたようにお姉ちゃん。

「だってお腹すくんだもん……。あ、ねえお姉ちゃん」モハミを口に入れながら私は言う。唐揚げにはあんがかかっている。もぐもぐ。おいしい。

「あのね、今日さ、伊藤先生になんか言われたでしょ」

「ああ、うん、何か言ってたわね」

「ごめんね、お姉ちゃん」

「謝ることないじゃない。ゆっくり決めればいいのよ」

「なに花苗、あんた何か怒られるようなことしたの」と、お姉ちゃんの湯飲みにお茶を足しながらお母さんが訊く。

「たいしたことじゃないのよ。あの先生ちょっと神経質なの」となんでもないことのようにお姉ちゃんが答え、私はこの人がお姉ちゃんで良かったと、あらためて思った。

 その晩、私は夢を見た。

 カブを拾った時の夢だった。カブというのはホンダのバイクのことではなく、私の家で飼っている柴犬の名前だ。小六の時に私が海岸で拾った。お姉ちゃんのカブ(バイクの方)が羨ましかった当時の私は、拾った犬にカブという名前を付けたのだ。

 しかし夢の中での私は子どもではなく、今の十七歳の私だった。私は仔犬のカブを抱き上げて、不思議な明るさに満ちている砂浜を歩いている。空を見上げるとしかしそこに太陽はなく、眩しいくらいの満天の星空だった。赤や緑や黄色、色とりどりの恒星が瞬き、全天を巨大な柱のような眩しい銀河が貫いている。こんな場所があったかしらと私は思う。ふと、ずっと遠くを誰かが歩いているのに気づく。その人影を私はよく知っているような気がする。

 これからの私にとって、あの人はとても大切な存在になるに違いないと、いつのまにか子どもの姿になっている私は思う。

 かつての私にとって、あの人はとても大切な存在だったと、いつのまにかお姉ちゃんと同じ年になっている私は思う。

 目が覚めた時、私は夢の内容を忘れていた。

3

「お姉ちゃん、車の免許とったのいつ?」

「大学二年だったから、十九の時かな。福岡にいた時にね」

 車の運転をしている時のお姉ちゃんは、我が姉ながら色っぽいなーと、私は思う。ハンドルに添えられた細い指先、朝日をきらきらと反射する長い黒髪、バックミラーをちらっと見る仕草や、ギアを変える時の手つき。開け放した窓から吹き込む風に乗って、姉の髪の匂いがかすかに届く。同じシャンプーを使っているはずなのに、私よりお姉ちゃんの方が良い匂いをさせているような気がする。私はなんとなく制服のスカートの裾をひっぱる。

「ねえお姉ちゃん」と、私は運転席の横顔を見ながら言う。この人まつげ長いよなー。「何年か前さ、うちに男の人連れてきたことがあったじゃない。キバヤシさんだっけ?」

「ああ、小林くんね」

「あの人どうなったの? 付きあってたんだよね」

「何よ急に」とすこし驚いたように姉は答える。「別れたわよ、ずっと前に」

「その人と結婚するつもりだったの? そのコバヤシさんとさ」

「そう思ってた時期もあったよ。途中でやめたけどね」と懐かしそうに、笑いながら言う。

「ふーん……」

 どうしてやめたの? という質問を飲み込んで、私は別のことを訊く。

「悲しかった?」

「そりゃあね、何年か付きあっていた人だから。一緒に住んでたこともあったし」

 左折して海岸に続く細い道へと入ると、朝日がまっすぐに差し込んでくる。雲一つない真っ青な空。お姉ちゃんは目を細めてサンバイザーを降ろす。そんな動作まで、私にはどこか色っぽく見える。

「でも今思えば、お互いにそれほど結婚願望があったわけでもなかったのよ。そうすると付きあってても気持ちの行き場がないの。行き場っていうか、共通の目的地みたいなね」

「うん」よく分からないまま私はうなずく。

「ひとりで行きたい場所と、ふたりで行きたい場所は別なのね。でもあの頃はそれを一致させなきゃって必死だったような気がするな」

「うん……」

 行きたい場所──と私は心の中で繰り返す。なんとなく道端に目をやると、野生のテッポウユリとマリーゴールドがたっぷりと咲き誇っている。眩しい白と黄色、私のボディスーツと同じ色だ。キレイだな、花も偉いよなーと私は思う。

「どうしたのよ急に」と、お姉ちゃんが私の方を見て訊く。

「うーん……どうしたっていうか、別になんでもないんだけどさ」

 そう言って、ずっと訊きたかったことを私は訊いた。

「ねえ、お姉ちゃんさ、高校の時カレシいた?」

 姉はおかしそうに笑いながら、

「いなかったわよ。あんたと同じ」と答える。「花苗、高校生の時の私にそっくりよ」

 遠野くんと一緒に帰ったあの雨の日から二週間が経ち、その間に台風が一つ島を通り過ぎた。サトウキビを揺らす風がかすかに冷気を孕み、空がほんのすこし高くなり、雲の輪郭が優しくなって、カブに乗る同級生の何人かが薄いジャンパーをはおるようになった。この二週間一度も遠野くんと一緒に帰ることは叶わず、私は相変わらず波に乗れていない。それでも最近は以前にも増して、サーフィンをすることがとても楽しい。

「ねえ、お姉ちゃん」

 サーフボードに滑り止めのワックスを塗りながら、私は運転席で本を読んでいる姉に話しかけた。車はいつもの海岸そばの駐車場に停められていて、私はボディスーツに着替えている。午前六時三十分、学校に行くまでのこれから一時間、海に入っていられる。

「んー?」

「進路のことだけどさあ」

「うん」

 私は扉を開け放したステップワゴンのトランクに腰掛けていて、お姉ちゃんとは背中向きで話す格好になっている。海のずっと沖の方に、大きな軍艦のような灰色の船が停泊しているのが見える。NASDAの船だ。

「今もまだどうしたらいいのかは分からないんだけど。でもいいの、あたしとりあえず決めたの」ワックスを塗り終わり、石鹸のようなその固まりを脇に置きながら、姉の言葉を待たずに私は続ける。

「一つずつできることからやるの。行ってくる!」

 そう言って、私はボードを抱えて晴々とした気持ちで海へと駆け出す。──できることをなんとかやってるだけ、というあの日の遠野くんの言葉を思い出しながら。そうしていくしかないんだと、それでいいのだと、私ははっきりと思う。

 空も海もおんなじ青で、私はまるでなんにもない空間に浮かんでいるような気持ちになる。もっと沖に出るためにパドリングとドルフィンスルーを繰り返しているうちに、だんだんと心と体の境界、体と海との境界がぼんやりとしてくる。沖に向かってパドルして、やってくる波の形と距離をほとんど無意識のうちに計り、無理だと判断したらボードごと体を水中に押し込んで波をスルーする。いけそうな波だと判断したらターンして波がやってくるのを待つ。やがてボードが波に持ち上げられる浮力を感じる。これから起こることに私はぞくぞくする。波のフェイスをボードが滑りはじめて、私は上半身を持ち上げ、両足でボードを踏みしめ、重心を上げる。立ち上がろうとする。視界がぐっと持ち上がり、世界がその秘密の輝きを一瞬だけ覗かせる。